花札5月の札は「菖蒲に八橋」。
読み方は「しょうぶにやつはし」になります。
八橋とは、小川や池などの水辺に薄い板を曲がった形で渡した橋のことで、庭園などでよく見かけられます。
この八橋は菖蒲園にもよく架けられていることから、菖蒲と八橋はお似合いの組み合わせとして知られています。
なるほど!じゃ、花札5月の絵はその場面が描かれているのね。
と思いきや!
調べたところ事実は違っていました。
実はこの花、菖蒲ではなく「杜若(かきつばた)」だったんです。
杜若?!いやいやいや「菖蒲に八橋」なのに?
そうなんです。
がっつり「菖蒲に」と言っているにもかかわらず、杜若なんです。おかしな話ですよね。
あと杜若って言われても、どんな花か今ひとつピンと来ない人も多いのではないでしょうか?
菖蒲はなんとなくイメージつくけど、杜若はちょっとよくわかんないな。
なんかもう、疑問だらけです。
そこで今回は、
- そもそも杜若とは?菖蒲と何が違うの?
- なぜこの札が菖蒲じゃないの?その理由は?
- 杜若から菖蒲になった理由
これらを順番に紐解いていこうと思います!
杜若とは?菖蒲と何が違うの?
さて、まずは杜若(かきつばた)がどういう花なのか見ていくことにしましょう。
↓こちらが杜若です。
品があってきれいな花ですよね。
杜若は水辺が大好きで、主に池や沼地などに生育し、5月~6月に花を咲かせます。
花の特徴は中央にすっと入った白い線で、色は紫色が代表的な色ですが、今は品種改良されて約50種類ほどの品種があるといわれています。
一方、こちらは花札の絵と間違えられた菖蒲。
この花は、正式には「花菖蒲」と言います。
実は菖蒲とは本来サトイモ科の植物のことを指し、この花とは別のもの。
端午の節句に「菖蒲湯」に浸かる風習がありますが、そのお湯に入れる植物こそが「菖蒲」なんです。
ちなみに菖蒲はとても素朴な花を咲かせます。
その菖蒲ではなく、もともとあった「野生の野花菖蒲(ノハナショウブ)」を品種改良してできたものが「花菖蒲」になります。
葉が菖蒲に似ていることから「花菖蒲」という名前がつけられましたが、こちらはアヤメ科になるので、サトイモ科の菖蒲とは全く別物になります。
でも現在は菖蒲といえば「花菖蒲」のことを指すことが多いようです。なんかややこしいですね。
で、この杜若と菖蒲は見たところ似ている花のように思います。
それもそのはず。どちらも同じアヤメ科・アヤメ属の花なんです。
ただ違うのは、杜若は花びらに白い線が入っているのに対し、菖蒲は黄色い線が入っています。
大きさも杜若は50~80センチぐらいなのに対し、菖蒲は80~100センチとちょっと大きめ。
でも一番の違いは育つ場所で、杜若は水辺が大好きなのに対し、菖蒲は陸地を好みます。
あれ?でも菖蒲園とかでは水の中で花が咲いているよね?
なのに菖蒲は陸地なの?
実は菖蒲園では、常に水を張っているわけではないんです。
花が咲く時期にだけ花が美しく見えるように「演出」として水を張り、その他の時期は水を抜いているんだそう。
演出だったんだ!知らなかった・・・。
そんな似ているようで、少し違う杜若と菖蒲。
この違いが花札の絵を「杜若」だと言える理由でもあるんです。
次はそのあたりを見ていきましょう!
花札5月の札が菖蒲じゃない理由とは?
花札5月の札が菖蒲じゃないと言える理由は、全部で3つあります。
順番に詳しくご紹介しましょう。
理由1. 花札の絵に矛盾がある
ここで花札の絵を見ていただきたいのですが、
この花札の絵は、水辺で咲いている花に八橋が架かっています。
つまり「水辺で咲く花と八橋」ということ。
でも先ほど説明したとおり、菖蒲は陸地を好んで咲きます。水辺では基本咲きません。
ほんとだ!辻褄が合わない。
よってこの花は菖蒲ではないと言えます。
ただ、これだけの理由では少し説得力に欠けるところも。
もしかしたら花札が作られた江戸時代に、現在のような「演出」として菖蒲園に水を張っている可能性も無くはないからです。
そこで、次の理由に移ります。
理由2. 描かれている花の特徴が違う
これも花札の絵をみていただくとわかるのですが、描かれている花の中心が白く塗られています。
花の特徴は、杜若は花びらに白い線が入っているのに対し、菖蒲は黄色の模様でしたよね。
つまりここからも、菖蒲ではないということがわかります。
ただ、これもちょっと説得力に欠ける気がします。
というのも「花札の色使い」に関しては、これまで調査してきた中でも、見栄え良くするために実際のものとは違う色が塗られたり、付け足されたりすることはあったんです。
例えば、こちらの花札4月の後ろの赤い月なんかはそうですね。
だから実際とは違うけれども、花札全体の色のバランスを見て白に塗ったという「デザイン重視説」は無きにしもあらず・・・。
この説も残念ながらちょっと決定的とは言いづらい。
そんな中!
まさにこれ!という決定的な理由を見つけたのでご紹介したいと思います。
理由3. 江戸時代や昭和の花札に杜若の証拠があった!
花札は、江戸時代に作られた「花合せかるた」というものから派生してできたと言われています。
その花札の原点とも言われる花合せかるたに、この花札5月と同じ「花と八橋」の絵が描かれた札があり、しかもそこには「かきつばた」と書かれていることがわかりました!
元禄後期手描き花合せ(1)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
※右ページ下段の右から2つめ、縦に4枚かきつばたの札があります。
(札はあいうえお順に並んでいます)
ただ、江戸時代の文字なので「かきつばた」と書かれているかちょっとわかりづらいんですが、花合わせかるたを解説しているページと照らし合わせると、これが「かきつばた」だとわかります。
(かきつばたの前のふだが「海どう(かいどう)」、後ろの札が「がく草」と読めるので、その間の札は「かきつばた」になります)
そしてもう一つ、花合せかるたとは別の札にも決定的な証拠が。
花札には地方で作られた「地方札」というものがあり、その中に新潟県で流通していた「越後花」という花札があります。
越後花の特徴として、その札に合った和歌が絵と一緒に書かれているのですが、花札5月に書かれていたのはまさしく「かきつばた」を表す和歌だったんです。
越後花に書かれていた「かきつばた」の和歌とは?
その和歌とは平安時代に在原業平が詠んだ
「唐衣 きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」
というものです。
これは文字の頭を順番に読むと
「からごろも きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
と「かきつばた」が隠れています。
これは伊勢物語の「東下り」という旅のお話の中で歌われました。
在原業平が旅先の三河国(現在の静岡県)の八橋という場所に立ち寄った時に、あまりにも杜若がきれいだったのでこの歌を詠んだとされています。
その美しい情景と、かきつばたの文字を句の頭に織り込んで詠んだ斬新な方法が人々に評価され、「杜若=在原業平の和歌」と連想されるほど有名なものになりました。
そしてこの和歌が、先ほど説明した越後札の5月の札に書かれているんです。
昭和後期越後花札(任天堂製)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
※左から五列目の下二枚に、上の句と下の句が別れて書かれています。
ということは、花はまさしく「杜若」だということがわかります。
しかも、昭和後期(昭和50年代)に作られた越後札にその和歌が書かれていたということは、そんな昔の話ではないので現在でもこれは「杜若」だと言えるんじゃないでしょうか。
昭和50年代は西暦で言えば1975年~1984年だから、そんなに昔の話じゃないわね。
というわけで、この花は「杜若」なんです。
となると、残るは最後の疑問。
こんなに杜若だと認識されているにもかかわらず、どうしてこれを「菖蒲」と言うようになったんでしょうか?
なぜ杜若が菖蒲と言われるようになったの?
大変申し上げにくいのですが。
菖蒲と言われるようになった理由は、実はわかっていないんです。
モヤッとしますよね~。わかります(苦笑)
ただ、花札は未だに謎が多く、研究者が調べても情報が出てこないものがまだまだたくさんある未知の分野なんです。
このブログの記事でいうと、なぜ花札6月に牡丹が描かれたのかや、花札11月が小野道風になった経緯などなど。
今回も頑張って調査しましたが、決定的な理由がみつかりませんでした。
でも、なにか少しでもいいから情報はないかと調べたところ、ある仮説が見つかったので、ここではそれを紹介しようと思います。
菖蒲は験(げん)を担いだ名前だった?!
花札は「こいこい」や「おいちょかぶ」など相手と勝ち負けを決めるゲームです。
そのため「勝負をつける」の「しょうぶ」を「菖蒲」と験を担いだのはないかという説があります。
たしかに菖蒲は見た目が杜若と似ているし、誰かが言葉遊びのつもりで「菖蒲だ!(勝負だ!)」と言い始めたのかもしれません。
例えば・・・
この花、杜若だけど菖蒲に見えないかい?
確かに似ているし「勝負」という言葉ともかかってて、なんかおもしろいね。
気に入った!じゃオイラはこれからこの札を「菖蒲」ということにしよう。
いいね!
みたいな感じで広まっていったのかもしれません。
花札はその当時の人の遊び心がつまった札でもあるので、そうやって変わっていった説もありじゃないかなと思います。
まとめ
- 花札5月の札は「菖蒲に八橋」と言われているにも関わらず、実際は菖蒲ではなく「杜若」の花
- 杜若と菖蒲(花菖蒲)はとても似ているが、杜若は花に白い線が入っているのに対し、菖蒲は黄色い線が入っている。また大きさも違うが、一番違うのは生育地で、杜若は水辺を好むのに対し、菖蒲は陸地を好む
- 花札の絵には矛盾があり、そこを正していくと明らかに描かれているのは杜若。また、江戸時代と昭和に作られたかるたと花札に「かきつばた」と書かれたものが見つかっているので、このことからも描かれている花は「杜若」とわかる
- ただ、なぜ杜若が菖蒲と言われるようになったのかは、未だにわかっていない
せっかく「杜若」だというところまでわかったのに、最後はなんかモヤッとする終わり方になってしまって、そこがちょっと残念でした。
もし誰か「こういう理由だよ」というものがあったら、教えてください(笑)