花札には様々な植物と動物が描かれていますが、7月の札は「萩に猪」。
この札はアクセサリーやカバンなどのデザインに使われていたりするので、よく目にするんじゃないでしょうか。
この赤や黒のつぶつぶしたものが「萩」になります。
でも萩ってあまり身近じゃないから、いまいちピンとこないんだよね。
たしかに、日常生活ではあまり萩って目にすることがないですよね。梅や桜に比べるとどうもマイナーなイメージ。
ではそんな萩がなぜ、花札7月の札に描かれているのでしょう。
そして、同じように描かれている「猪」もなぜ萩と一緒に描かれているのでしょうか。
調べてみると、今まで知らなかった萩と猪の関係がわかったのでご紹介しますね。
それではまず、萩の由来から見ていくことにしましょう!
萩が描かれた理由は人々に愛される秋の花だから
萩は秋の七草の一つで、垂れた細い枝に小さな赤紫色の花をたくさんつけるのが特徴です。
確かに花札の絵のつぶつぶした感じは、この花の特徴が出ていますよね。
秋の七草というぐらいだから秋の花の代表なんですが、実はこの花が咲くのは7月~9月。
あれ?秋じゃなくて夏だよね?
開花は夏なのに、どうして秋の七草と呼ばれるようになったんでしょう?
萩が咲くのは旧暦でいう秋だから
実は、秋の七草の基準になっているのは「旧暦」なんです。
旧暦の7月は今の7月下旬から9月上旬ごろの事を指し、その頃を秋としているので、この萩が満開になる時期も旧暦から見れば「秋」というわけになります。
そして花札にも7月の札として萩が書かれていますが、それもまた同じ理由。
7月だから夏のイメージの札かと思ったけど、実は秋の札だったんですね。
ちなみに「萩」という漢字は、秋の代表的な植物だから「くさかんむりに秋」で「萩」という漢字が作られました。
それだけじゃない!萩は昔から日本人に愛されてきた花
でも萩は秋の花だからというだけで花札に描かれたわけではありません。遥か昔から日本人に愛される花だったのもその理由の一つなんです。
昔は萩っていろんな場所に咲いていて、人々を楽しませる今よりも身近な植物でした。
例えば、奈良時代に作られた万葉集でも、植物の中で一番多く和歌に詠まれているのが「萩」なんですって。
梅や桜よりも詠まれていることから、相当身近で愛されていたことがわかりますよね。
また江戸時代には、お花見ならぬ「萩見」が盛んでした。
一番有名な場所は亀戸にある龍眼寺で、別名「萩寺」と呼ばれており、お寺には百種類あまりの萩が植えられていたことから「萩見スポット」として江戸の人々が訪れていたそうです。
このように、「萩」は遥か昔から人々を楽しませ愛されてきた「秋の花」だったんです。
秋の花は萩を描こう!となる気持ちわかりますよね。
でも、7月の札に萩が描かれた理由はこれだけではなく、もうひとつ理由があります。
それは、一緒に描かれている猪と関係がありました。
次はそのあたりを見ていきましょう!
「萩に猪」は縁起のいい有名な組み合わせだった
萩と猪が描かれているこの絵。
一見、他の動物でも良さそうな気がしますが(実際、萩は鹿との組み合わせも有名だったそう)猪が選ばれた理由。
それは萩の別名が「臥猪の床(ふすいのとこ)」と呼ばれるからなんです。
萩と猪の組み合わせ「臥猪の床」とは
臥猪の床とは、猪が萩などの植物を倒してそこを寝床としている様子をいいます。
この意味は、凶暴な猪も萩を寝床に身を休める、つまり荒々しいものが身を休めることから「天下泰平」を表す組み合わせとして和歌や絵の構図として用いられてきました。
例えば、 望月玉泉の「萩野猪図屏風」 という絵はその姿をとてもリアルに表現しています。
望月玉泉《萩野猪図屏風》。臥猪(ふすい)は亥年を祝う「富寿亥(ふすい)」、やすらかであることを意味する「撫綏(ぶすい)」に通じる吉祥モチーフなのだとか。やわらかな秋草に囲まれ穏やかに目をつぶるイノシシを見ると、つい静かな寝正月もいいな…と思う。 #博物館に初もうで #東博 pic.twitter.com/xO32HVge1c
— 黒織部 (@kurooribe) January 2, 2019
この萩の下で眠っている猪、すごく顔がおだやかですよね。
本当に天下泰平という言葉がぴったりだなと思います。
このように萩は荒くれ者の猪が穏やかに寝る寝床として知られていました。
つまり、萩と猪は「天下泰平の吉祥の組み合わせ」として花札に描かれたというわけなんです。
猪は縁起のいい動物だった!
また猪は子供をたくさん生むことから子孫繁栄で縁起のいい動物とされていました。
江戸時代にはそれにあやかって「玄猪の祝い」という行事もあったそうです。
これは
- 亥の月(今の11月頃)
- 亥の日(11月の最初の亥の日。2021年は11月11日)
- 亥の刻(21~23時頃)
に亥の子餅(いのこもち)を食べると病気にならないという言い伝えがあり、子孫繁栄と無病息災を願う行事として行われました。
ちなみに江戸幕府では大名にカラフルな5色のお餅を、庶民たちはその年にとれた新米のもち米に大豆・小豆・栗・ごま・ささげ・柿・飴の7つの粉を加えて、亥の子(イノシシの子)に見立てたお餅を作って食べたそうです。
現在でもいろんな和菓子屋さんがこの時期になると様々な亥の子餅を販売するんですよ。
無病息災・子孫繁栄を願う『亥の子餅』販売開始のお知らせ。
— くらづくり本舗【公式】 (@kuradukurihonpo) November 2, 2018
『亥の月亥の日亥の刻にお餅を食べると病気をしない』『無病息災と多産の猪にあやかり子孫繁栄を願う』冬も近づく初冬の亥の月亥の日にお餅を食べる習慣をご存じでしょうか。 詳細記事はコチラ⇒ https://t.co/OruBFvRsYo #亥の子餅 pic.twitter.com/wKDrIUeInb
このように昔から猪は縁起のいい動物としても親しまれてきたんです。
縁起のいい猪と秋の花代表の萩、さらにそれを組み合わせた天下泰平を願う臥猪の床を描いたのが花札7月の札というわけなんですね。
まとめ
- 萩は旧暦でいうところの秋を代表する花
- 今と違い昔は萩はとても身近で人々に愛された花だった
- 子孫繁栄で縁起のいい猪と萩の組み合わせは、天下泰平を表す「臥猪の床」として吉祥の題材だった
- 花札7月に描かれている絵は、秋を表現した縁起のいい吉祥モチーフが描かれていた
萩はあまり身近な花じゃなかったけど、調べてみると皆に愛されてきた花だったんですね。
ちなみにあんこで作る「おはぎ」もこの萩が由来になっているそうな。
秋のお彼岸に食べるし、あんこの粒が萩に似ていることからつけられたんですって。
あれ?意外と身近に「はぎ」があった(笑)