花札はその季節にあわせた植物や動物、行事などが描かれていますが、その中でも異彩を放つのがこの11月の札。
黒が多く使われているからかな?なんかおどろおどろしい雰囲気。
ちょっと怖い札のイメージありますよね。
そんな11月の花札。
これまでいろいろな花札の由来をご紹介してきましたが、今回の札ほど正体のわからない札はなかったので、調べてみて「へぇ~!」と思うことが多く、興味深い調査となりました。
ただ、謎が多い札でもありました。
そこでこの札の正体を、いくつかの謎とともに一つ一つご紹介していこうと思います。
- 人が描かれた札 → これって誰が描かれているの?
- 鳥が描かれた札 → これってなんの鳥?
- さらに赤いちょっと怖そうな札 → これは何が描かれているの?
この順番で詳しく解説していきたいと思います!
花札11月に描かれている人物は誰?この絵の意味は?
私が一番最初に気になったのはこちらの札。
この描かれている人物って、一体誰なんでしょう???
この人物は小野道風!
この札に描かれている人物は小野道風(おのの みちかぜ)という平安時代中期の人物です。
平安時代といえば遣隋使の小野妹子が有名ですが、その子孫にあたります。
小野道風には書道の才能があり、子供の頃から活躍するほどの腕前だったそう。
そんな書の名人が描かれているこの札。
よく見ると蛙も一緒に描かれていますよね?
実はこの札に描かれている構図は、あるお話の場面を切り取ったものなんです。
花札の絵はあるお話の場面だった!
この絵は江戸時代の寛延3年(1856年)に書かれた三浦梅園の『梅園叢書』の中のお話を元に描かれました。
そのお話をざっくり説明すると
道風は偶然通りかかった池で蛙が柳につかまろうと必死になっている姿を目撃した。
無謀な挑戦と思えた矢先、柳の葉につかまることに成功した蛙の姿から、一生懸命努力することの大切さを思い知り、その後学び続け、平安時代の有名な能書家となった。
というものです。
「努力をすれば報われる」というお話で有名なので、聞いたことがあるかもしれませんね。
つまり、この花札の絵は「道風が蛙から努力する大切さを悟る場面」というわけなんですね。
ただ、このお話にも秘密が!
このお話には元ネタとなる別のお話があったんです。
意外な設定!このお話の元ネタとは?
このお話は、「江戸時代のある浄瑠璃」が元ネタとなっていました。
その浄瑠璃は「小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり)」という小野の道風が主人公の浄瑠璃で、歌舞伎の演目としても有名でした。
おもしろいことに、この浄瑠璃での道風は
- 文字が全く読めないし、書けない(!)
- 大工という設定でのちに木工頭(宮廷で建築をする役所の長官)として公家になる
という現実とは全く違う設定で描かれているんです。
しかも腕っぷしの強い人物で、悪い人たちに取り囲まれても次々に投げ飛ばすというめちゃくちゃ強い設定だったんです。
で、さきほどの「道風と蛙」の場面もこの浄瑠璃の見どころの一つでした。
このお話の中では、蛙が柳につかまるのを見た道風が「不可能と思えることも可能かもしれないと悟る」という場面になっています。
このあと、道風をある一味の仲間に引き入れようとする元大工仲間の男「独鈷の駄六」とのガチンコ対決になることから、見どころの一つとなりました(もちろん道風の勝ち!)。
この場面から発想を得て、さきほどの「道風が書道で苦しんでいる時に「努力すれば報われる」と奮起させられた」というお話が生まれたんじゃないかと言われています。
そんな浄瑠璃と逸話から生まれた「小野道風と蛙」の絵。
「花札を作った人はこの有名な場面を花札に描きたかったんだな~」
というところで調査が終わる・・・
と思いきや!
実は花札が作られた当初に描かれていたのは、この「小野道風と蛙」じゃなかったんです!
最初に描かれていたのは小野道風ではなかった!
小野道風が描かれる前に花札の絵となっていたのは、有名な人物でもなんでもない「雨(雷雨)の中を傘で顔を隠して走り去る男の人」でした。
#傘の日 だそうで。
— 削除手続き済み (@QQj4850macr) June 10, 2019
そういえば、花札にも傘を差した人物が二人登場します。
一人は三蹟、小野道風。
そしてもう一人が仮名手本忠臣蔵で有名な斧定九郎。
二人とも同じ11月の札。私は個人的に斧定九郎が好きです。
(画像はネットより) pic.twitter.com/r22JOCIk6P
この男の人は誰?と疑問に思いますが、現在この傘の男の人が「仮名手本忠臣蔵の斧定九郎だ」という説があります。
でも調べたところによると、その説は嘘じゃないかと言うことがわかりました。
「花札の人は斧定九郎」説は嘘?!その理由とは?
斧定九郎ではないという理由。
それは斧定九郎が誕生する前から、花札には傘を差す男の人が描かれていたからなんです。
斧定九郎が登場した仮名手本忠臣蔵が初めて演じられたのは寛永元年(1748年)8月。
でも、それより40年も前(元禄年間)にすでに傘を差す男の人が描かれていることがわかりました。
それを示すのは「花合わせかるた」という花札の原点となるかるた(元禄後期に描かれたもの)。
ここに、すでに傘を差して走り去る男の人が描かれています。
・斧定九郎説を覆す発端となった花札
元禄後期手描き花合せ(4)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
↑確かに、一番下から2段め、左から2枚めの柳の札には傘の男の人が描かれています。
このように、斧定九郎が誕生する前にはすでに傘を差す男の人が誕生していたので、この男性のモデルは斧定九郎じゃないということがわかります。
【不可解な謎①】傘を差して走る男の人は誰?
じゃ、この男の人は誰?って話になりますが、実はそのあたりはよくわかっていません。
モデルがいるのかいないのか、さらにはどういった理由で描かれたのかなど詳細は不明なままです。
【不可解な謎②】なぜ途中から小野道風に?
次に疑問に思ったのが、なぜ傘の男の人から小野道風に変わったのか?
これも実は決定的な理由は見つけられませんでした。
ただ調べていた時に、ある札を見つけたので、そこから私がこうじゃないか?と思った理由を書きたいと思います。
興味のある方は下のタイトルをタップしてどうぞ!
現在の花札のデザインは「八八花札(はちはちはなふだ)」(八八(はちはち)という遊びに使われた花札)のデザインが元となったと言われています(それまでは各花札ごとに微妙にデザインが違っていました)。
それまでは木版画で作られた「武蔵野」という花札が主流でしたが、八八という遊びが流行ったことで、明治時代に八八花札が武蔵野に変わって主流となりました。
この時、武蔵野のデザインが少し変化して八八花札へと引き継がれます。
そう!
この時に傘の男の人から小野道風に変わっているんです。
ここからは私の推測です。
八八花札をデザインした人はこの傘の男の人を書き換えたいと思っていた。
花札11月は「柳」の札。
柳と言えば?
↓
あの柳と蛙の場面が有名な「小野道風青柳硯」!
↓
小野道風を描こうじゃないか!
という発想になったんじゃないかな?と思います。
私がそういった仮説を立てたのは、ある札に出会ってからでした。
当時、歌舞伎役者と花札を融合した「歌舞伎役者かるた」というものが制作されていました。花札を歌舞伎役者に例えるなら?という遊び心で作られたものだと思われます。
そこのちょうど柳の最初の札に、小野道風の格好をした中村福助が描かれているのを見つけました(その札の右上に小さく傘を差して走り去る男の人の絵も描かれています)。
歌舞伎役者かるた|日本かるた文化館
↑上段右から2番目に描かれています
つまり、それぐらい当時の人にとっては「柳=小野道風」という発想があったんじゃないかと思います。
となると、新しい花札の絵に小野道風を描こう!となるのもありえない話じゃないですよね?
こうして、小野道風の札ができたんじゃないかと私は考えます。
以上、私が思う小野道風の札誕生の理由でした。
あの黄色い鳥っていったい何?
続きまして、よくわからないのがこの鳥。
この黄色い鳥はいったい何なんでしょうか?
実はこれ、ツバメなんですって!
って言われても、あまりピンときませんよね?
だってツバメって黄色くないし、後ろの尾羽こんなに長かったっけ?
疑問だらけです。
どうしてこのツバメはこんなに黄色いのか気になったので、まずはここから調査してみました。
【不可解な謎③】なぜツバメなのに黄色なの?
比較するために本物(?)のツバメの写真を持ってきました。
見ての通り、ツバメには黄色の要素が何一つありません。
どこから黄色という発想が生まれたのか?
残念ながら、黄色になってしまった決定的な理由は見つかりませんでした。
でも、調査してわかった「これじゃないか?」というものをご紹介しようと思います。
花札の製法が変わった時に変化した?!
実はこのツバメ。
花札の原点となる花合わせかるたでは、ちゃんと「ツバメ」として描かれていました。
花合わせかるたの絵は手書きで精密に絵が描かれていたため、見てもすぐにツバメとわかる絵でした。
もちろん色も黄色ではなく、実物と似たような黒っぽい色です。
江戸中期手描き花合せ(三池カルタ・歴史資料館蔵)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
それが江戸時代に木版画で花札が作られるようになると、ここから黄色に変わっていきました。
しかも、ツバメだけではなく他の月の絵も黄色がふんだんに使われるように。
江戸後期武蔵野(井上家春作の後追い)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
ここから答えを推理したいと思います。
まず、手書きではなく木版で作るということは大量生産を視野にいれていると思われます。
そうすると、手書きのような細かい彩色は時間がかかるのでできないですよね。
そこで、華やかさをプラスするために黄色を採用し、アクセントとして各月の花札の絵に散りばめた結果、11月の札はツバメが黄色くなったんではないかと思います(同じ11月の札の傘を差す男の人の傘も黄色になってます)。
花札はたびたび職人さんの遊び心やアドリブが入る傾向があります。
例)花札8月のススキの山とか花札4月の三日月とか
その名残が今の花札に受け継がれているのかもしれません。
手書きから版画に変わった絵を見比べると彩色が明らかに違うので、職人さん側の立ち位置で考えてみました。
確かに手書きは上品だけど色はちょっと地味なので、黄色で明るくしたいと思う気持ちはわかりますよね。
【不可解な謎④】なぜ11月の札にツバメが描かれたの?
黄色いツバメの次に気になったこと。
それは、なぜ11月の札にツバメが描かれたのか。
でも残念ながらこれも理由ははっきりとわかっておらず、私も今回は全く推測すらできませんでした。
そもそもツバメは渡り鳥で、夏の時期を日本で過ごします。
その間に子育てをして、9月~10月ぐらいになると日本を離れてしまいます。
花札の月は旧暦で表されているので、11月は今でいうところの11月下旬から1月上旬ごろ。
つまり、花札11月の時期はツバメは日本にいないんです。
なぜそんな時期にツバメを描いたのだろう?
全くもって謎です。
【不可解な謎⑤】ついでに柳も実は季節があわない!
花札11月の植物として描かれている柳。
じつはこれもツバメと同様、花札と季節が合わないんです。
柳は若葉が青々と茂った春が一番きれいな時期になります。
そして、冬になると葉が完全に落ちてしまいます。
つまり、花札11月の頃には葉が落ちてしまっているはずなので、季節的にはおかしな絵になってしまいます。
ただ、柳とツバメの組み合わせは、江戸時代に多くの絵や着物の柄として使われています。
青々と茂る柳のそばをスイーっと飛んでいくツバメの光景は、春にはよく見られた光景で、春の訪れを感じさせる組み合わせなのかもしれません。
となると、春の組み合わせがなんらかの理由で11月に採用されたのかな?と思うのですが・・・。
謎が深まるばかりです。
見た目が怖い!鬼札の正体やその由来とは?
最後は花札11月の中で一番異彩を放っているこの札。
赤と黒の色使いからちょっと怖いイメージがありますよね?
この札は花札11月では「カス札」になり、通称「鬼札」と呼ばれています。
この札はゲームの中では特殊な存在で、通常同じ月の花札同士でしか合わせられないものを、この札だけはオールマイティーにどの札とも組み合わせて自分のものにすることができます(これを「噛む」といいます)。
ただし、この札は「柳の札」として扱うことができないので、同じ月である11月の札だけは合わせる(噛む)ことができません。
そんな特殊な働きをするこの鬼札。
よく見ると、細かい絵が描かれていますよね?
これ、いったい何が描かれているんでしょうか?
この鬼札には何が描かれているの?
実はこの札には、
- 柳の葉
- 雷神(鬼)の手
- 雷光
- 雨
- 雷神の太鼓
が描かれています。
といってもわかりづらいと思うので、ちょっと色を塗ってみました。
雷光の境目がわかりにくかったので勘で塗っちゃいましたが、これでだいぶ見やすくなりましたね。
色を塗ると、すごい雷雨ということがわかります。
緑の手は雷神の手で、落とした太鼓を取ろうとしています。
ところで柳の葉がどこにあるのかわかります?
ここ!!この緑の線の部分。
この黒いべったりしている部分が柳の葉なんです。
全くわからないですよね?
全然わからん!柳の面影が全くない!
なぜ柳がこんなふうに描かれるようになったんでしょうか。
柳に見えない!なぜこんな絵になったの?
もともと柳の札は、雨を連想する絵ではありませんでした。
鬼札となる元々のデザインは、柳の葉が2枚描かれるだけのシンプルなものだったんです。
その花札をイラストにするとこんな感じ↓
当時の職人さんは描くのがめんどくさかったのかな?というぐらい、繊細な柳の葉がべったりとした葉になっています。
明治中期武蔵野(大石天狗堂製、『別冊太陽いろはかるた』)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
その後、柳の札の1枚に小野道風の説明にも出てきた、雷雨の中を傘を差した男の人が走る絵が描かれるようになりました。
ここで柳の札=雨になったんです。
昔はこの雨という発想から、光物(花札の中で一番高い点数がつけられている札)の効力を消す(雨で流す)「消し札」という役割をもたせていました。
傘を差す男の人の札を含んだ柳の札を4枚集めると、光物の役を消す(!)という恐ろしいルールがあったそうです。
同時に、雷雨=雷光ということで、この傘を差して走り去る男の人の札が「光物」として扱われるようになります。
その後、この「雷雨の中を傘を差して走る男の人」が「小野道風」に変わります。
小野道風に変わると雨は時雨となり、雷光がなくなりましたが、この札が現在も「光物」として扱われるのはこの名残だと言われています。
そして小野道風に変わったことをきっかけに、今度は「消し札」としての機能を他の札に持たせようということになりました。
そこで、消し札とわかりやすくするために、柳の札の背景を赤く塗ってわかりやすくしました。
これが鬼札の原点です。
でも柳の後ろを赤く塗っただけでは、消し札の元となった「雨」がわかりずらいことから、さらに雨をイメージした札らしく雷光や雷神の手、太鼓などをデザインした札が登場しました。
これが現在の鬼札のデザインとなったわけなんです。
江橋崇著 「花札」ものと人間の文化史167 ― 法政大学出版局 2014年 P108、P128
正体がわからない時はなんか怖い札だと思っていたけど、こうやって順をたどっていくと、またイメージが変わってきますね。
描かれている絵も「鬼が落とした太鼓を取ろうとしている場面」とわかると、ちょっとかわいく思えてきます(笑)
まとめ
- 花札11月に描かれている人物は「小野道風」。
- 描かれている場面は江戸時代に流行った浄瑠璃を元に作成されたお話で、不可能と思えたことも可能にした蛙を見て、道風が奮起するというお話がこの絵の成り立ち。
- 元は小野道風ではなく「雨の中傘を差して走り去る男の人」が描かれていた(男の人が斧定九郎という説は間違い)。男の人の正体や小野道風になった経緯は未だ不明なまま。
- 黄色い鳥は「ツバメ」。ただなぜ黄色なのかや、季節が違うのに花札11月に描かれた理由は謎(同じく花札11月に柳が描かれた理由も謎)。
- 赤と黒の少し怖いイメージの「鬼札」は、ゲームの中ではオールラウンダーな特殊な札。柳以外の札に合わせることができる。
- 昔のルールにあった「消し札」という役割をわかりやすくするため、柳だけだった札の背景を赤く塗り、さらに「雨」というイメージをもたせるため雷光や雷神、太鼓などをを描いたのが、現在の鬼札のデザインのルーツ。
今回は内容が盛りだくさんすぎて、まとめるのが本当に大変だった(笑)
でもそれだけおもしろい札でした。
特に鬼札は知ると「へぇ~!」となるので、花札で遊ぶときに「これって雷神が太鼓を取ろうとしているんだぜ!」「この黒い部分柳の葉なんだぜ!」ってドヤ顔で教えてあげるといいかもw