花札8月の札は「芒に月」。読み方は「すすきにつき」になります。
この札は花札の中でも有名ですよね。
赤い空に月が浮かんでいる札なんかは、目にしたことあるという人も多いんじゃないでしょうか。
さてこの月が描かれている花札、一体どういった意味でこの絵が描かれたのでしょう。
今回も全力で調べたのでご紹介したいと思います!
さらに、その横にある鳥が描かれている札。
こちらも見たことあるという人は多いと思いますが、そもそもこの鳥って一体何の鳥なんでしょう?
このあたりについても詳しく調べたのでご紹介しますね。
それでは早速、月が描かれた意味から見ていきましょう!
花札8月に月が描かれた意味とは?
黒い山にぽっかりと月が浮かんでいるこの札。
花札はその季節にあった風景などをデザインにして描く傾向がありますが、この札は何を表現している絵なんでしょう?
月が描かれた札は十五夜をあらわしていた
これはこの時期の風物詩である「十五夜」をモチーフにして描かれています。
この花札は8月の札になりますが、8月とは旧暦の8月。
つまり、今の暦でいうと9月中旬~10月上旬ぐらいなので、ちょうど十五夜の季節にあたります。
十五夜は「中秋の名月」と言われるぐらい綺麗な月が見られるので、その場面を切り取って描いたということですね。
でもお月さまが綺麗だからという理由だけがこの絵になった理由かというと、そうではないんです。
実は、十五夜に行われる「お月見」という行事が江戸時代の人々には欠かせない行事だったからなんです。
お月見は江戸時代の人々に欠かせないものだった
お月見といえば「お団子」と「ススキ」を飾ることで有名ですが、このスタイルは江戸時代から始まったと言われています。
「月見」はもともと平安時代に中国から伝わった風習で、宮廷で月見の宴を行うなど庶民にはあまり馴染みのないものでしたが、江戸時代に入り庶民の間でも月見をする風習が広まりました。
当時のお月見は、今と同じようにお団子とススキを飾ってきれいな満月を眺めるという楽しみ方のほかに、もう一つ大切な意味を込めた行事でもあったんです。
収穫を祝う行事でもあった
十五夜の頃は季節でいうと秋で、里芋や栗、豆といった作物が収穫できる季節になります。
そこできれいな月を鑑賞することに加え、
- 今年も無事に作物を収穫できた感謝の気持ち
- 来年の農作物の豊作祈願
の意味を込めて、収穫祭としてお月見が行われていたんです。
今よりも深い思いを込めて、お月見という行事を行っていたんですね。
昔はお団子と一緒に、獲れた芋などの作物をお供えしていたんですよ。
地域によっては今でも、十五夜に芋を供える所もあるんですって。
ススキも昔から欠かせないアイテム!
またお月見といったら、お団子と並んで欠かせないのがススキ。
こちらも昔からなくてはならないものでした。
お月見は収穫祭を兼ねていたので、本来ならたくさんの穂がついた稲穂を供えたいところですが、この頃はまだ刈り取る前の未熟な稲穂しか手に入らないため、形が似ているススキを代用品としてお供えしていました。
これが後に、お月見にススキを飾る由来になったといわれています。
またススキは切り口が鋭いことから魔除けの効果があるといわれていて、そのススキを供えることで悪霊や災難を避け、来年の豊作を願うという意味も込められていたそうです。
ススキって秋の植物だから飾るのかな?って思ってたけど、いろんな意味が込められていたんですね。
旧暦8月といえば十五夜は欠かせない行事だった
このように、この花札が描かれた旧暦の8月は「お月見」という行事が欠かせないものでした。
つまり月がきれいだったからというだけでなく、お月見は人々と関わりの深い行事だったのでそれを連想させる絵を描いたのだと考えられます。
ただ、もう一度花札の絵↓を見てほしいのですが、
きれいな月を表現したいのはわかるけど、お月見の雰囲気があるかと言われるとちょっと疑問に思いません?
確かに月はきれいだけど、お月見かといわれるとちょっとわかりづらいよね?
その謎。この黒い山が何なのかを調べることで解決しました!
あの黒い山はいったい何?
月の下に描かれている黒い山。
実はこれ、ススキが生えている山を表しているんです。
え!もしかして山に描かれているこの線がススキ?!
見えませんよね~。私も知った時はびっくりしました。
ただ、今でこそ黒い山に線で模様が描かれているようにしか見えませんが、驚いたことに昔はちゃんと丁寧にススキが描かれていたんです。
花札はもともと「花合わせかるた」と言われるものから派生してできたといわれていますが、その花合わせかるたの時にはススキが描かれて月が浮かんでいるデザインでした。この時は山はなかったんです。
江戸中期手描き花合せ(三池カルタ・歴史資料館蔵)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
ところが花札になると、なぜか山にススキが生えてそこに月が登るデザインへと変わっていきました。
しかもススキを描くのがめんどくさかったのか、山に線を描くだけの簡単なものになってしまったんです。
江戸後期武蔵野(井上家春作の後追い)|日本かるた文化館 注)pdfファイル
このデザインが花札のデザインとして確定し、今の「黒山のススキ」ができたというわけなんです。
また一説には、花札を手刷り(版画のように木の版で刷って作る方法)で作る際に版が目詰まりして、細かいススキが表現されなくなった黒い山がデザインとして一般化してしまったという説もあります。
このように、今の花札の絵は一見お月見には関係がないように見えますが、実は月とススキの山が描かれた絵ということがわかりました。
本来ならデザインとして、お月見の行事を切り取って「月とススキとお供え(お団子?)」を描くところ、花札は牡丹に蝶や桜に幕など絵画として見ても美しいデザインを意識しているようなので、そこはお団子を描かずに「芒に月」という情緒のあるまとめ方をしたのかなと思います。
たしかに、いきなり花札にお団子が出てくるのは違和感ある(笑)
今の絵のほうが花札のデザインとしてはしっくりきますよね。
というわけで、月が描かれた意味や背景を見ていきました。
では次に、あの鳥の謎について見ていくことにしましょう!
ススキの山に飛んでいる鳥はいったい何?
このススキの山に飛んでいる三羽の謎の鳥。
ぱっと見ても何の鳥かわかりませんが、これは「雁(がん)」という鳥なんです。
ちなみに古い呼び方ではこの鳥を「かり」とも呼んでいたことから、この札は「芒に雁(すすきにかり)」という名前で呼ばれたりもします。
この雁という鳥はあまり馴染みがありませんが、いったい花札とどういう関係があるんでしょう?
雁は秋から冬にかけてよく見る鳥だった
雁は秋になるとシベリアから日本に渡ってくる渡り鳥で、田んぼや湖、湿地帯などで群れで生活し越冬します。
現在ではそういった場所に行かないとなかなか見られないことから、あまり馴染みがない鳥ですが、花札ができた江戸時代には秋になるとよく見られる鳥だったんです。
江戸には雁がたくさんいた!
この時代は今に比べて自然が多かったこともあり、全国各地で雁を見ることができました。
また、江戸時代に一番栄えていた江戸でも雁が見られる名所がたくさんありました。
なぜ江戸にそんな名所があったかというと、江戸城から五里以内(約20キロ以内)は将軍家が鷹狩をする場所と決められていて、一般の人が鉄砲などを使って狩りをすることを禁じられていたから。
つまりこの五里以内は、雁やそのほかの鳥たちにとって「安全圏」なので、様々な鳥たちが飛んでくる名所となったわけなんです。
江戸城のお堀にも当たり前のように雁が飛んできたんですって!
そんな風景は当時描かれた浮世絵にも多く残されているんですよ。
例えばこちらは、歌川広重が描いた「高輪之明月」。夕暮れに雁が寝床に帰る様子が描かれています。
歌川広重は保永堂版東海道で一躍人気絵師となりますが、その直前、広重が風景画に開眼するきっかけとなったのがこちらの一幽斎がき東都名所のシリーズ。手前に雁の一群を配する構図、夕暮れの空を捉える色彩感覚など、広重の才能の開花が見られます。現在、太田記念美術館で展示中。#広重没後160年 pic.twitter.com/OXTm2oQ5hx
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) September 8, 2018
また、同じく広重が描いた「名所江戸百景」シリーズの「小梅堤」という浮世絵からは、日常の風景の中でこんなふうに雁が飛んでいたんだなということがわかります。
浮世絵の時間です!
— – Arcadia Rose – 「 K 」☆書籍発売中 (@K48729436) March 14, 2020
歌川広重「名所江戸百景」
冬の部『105. 小梅堤』
見どころ解説:
小梅堤とは船引川に沿って作られたこの土手
向島の神社の参拝者も多く茶屋もあり賑わった
子ども達が子犬と遊び、川では釣りをしている
遠くの空に雁が飛ぶのどかな景色#美術 #芸術 #歌川広重 #日本 #教養 pic.twitter.com/CiEqJZZiSs
そして、こちらの小松軒百亀が描いた「月と芒に雁」という浮世絵は、まさに花札の絵と同じような構図で秋の風景が描かれています。
10月の満月は狩猟の時期にちなんで #ハンターズムーン というそうです。#浮世絵 においても、秋の #月 はたびたび狩猟対象であった #雁 と結びつけられています。切手になった #広重 の「月に雁」が有名ですが、#百亀 が描いたこちらの作品も素敵。芒や萩が揺れる秋の野に大きな満月がかかっています。 pic.twitter.com/SWDhx5AN4d
— アダチ版画研究所 (@ukiyoe_adachi) October 21, 2021
このように、雁は浮世絵に描かれるほど江戸時代には秋になるとよく見られる鳥だったんです。
「秋といえば雁」というわけで、花札のデザインになったのかもしれませんね。
まとめ
- 花札8月の札は「芒に月」と書いて「すすきにつき」と読む
- 月が描かれた札は「十五夜」を表しており、月の美しさと当時の大事な「お月見」という行事から秋の風物詩ということで花札8月のデザインとして選ばれた
- 昔は丁寧にススキが描かれていたが、花札が作成された時にススキが簡略化され、黒い山になったものがそのまま現在のデザインとなった
- 飛んでいる鳥の正体は「雁」であり、雁は江戸では秋になるとよく見られる鳥で浮世絵にも描かれるほどだった
「芒に月」という言葉は聞いたことあったけど、どこにススキがあるのか謎でした。でもまさかあの山の模様がススキだったとは!
でもそれがわかった今でもやっぱりススキに見えない・・・。