花札の3月といえば「桜に幕」。
桜が満開で、札が華やかですね!
でもなぜ、3月の札に桜が描かれているのでしょう。
考えてみると、3月に桜もちょっと早い気がするし、あと桜の前に描かれている「幕」もちょっと違和感がある・・・。
気になったので調べてみると、桜が描かれた背景や幕を描いた理由は江戸時代のお花見事情と関係がありました。
さらに、この頃のお花見は女性たちが盛り上がるイベントでもあったみたいなので、 そのことにも触れていきますね。
では、桜と幕が描かれた由来となるお花見事情から見ていくことにしましょう!
桜が描かれた由来はお花見に関係があった!
花札3月に桜が描かれているのは、この時期がお花見シーズンだったから。
実は花札が描かれている時期は「旧暦」で表されており、旧暦の3月は今の3月下旬から5月上旬ごろのこと。
つまりちょうど桜が咲く季節なんですね。
桜が満開の中、きれいな花を眺めながらお散歩したり、美味しいものを食べたり飲んだりする「お花見」は江戸時代でも楽しまれていました。
でも昔の人にとってのお花見は、今よりもっと特別なもの。
前の日は楽しみで眠れなくなるほどの「一大イベント」だったんです!
今のお花見スタイルは江戸時代に普及した
江戸時代以前のお花見スタイルは今とはちょっと違っていました。
それまでお花見というのは、貴族が歌を詠んで雅に楽しんだり、武士などの身分の高い人だけが宴を楽しむといったものでした。
一方、農民たちの間では、桜が咲く頃に近くの山に入り、お酒を飲んだりご馳走を食べたりする「春山入り」という行事があったそうです。
でもこれは「お花見」とはちょっと違うもので、冬の神様から田の神様を里に招く儀式が行われ、さらに桜の咲き具合によって稲の出来を占ったりする農耕行事でした。
今のようなお花見が庶民にも定着したのは、江戸時代になってからです。
特に花札が普及した江戸で、八代将軍徳川吉宗がそのきっかけを作ったといいます。
お花見は庶民たちの一大イベントだった!
徳川吉宗は当時「享保の改革」という質素・倹約を軸にした改革を進めていました。
その結果、町民たちは楽しみや贅沢を奪われ、窮屈な生活を強いられていたといいます。
そこで吉宗は、町民たちが息抜きをする場所として、桜を植樹しお花見ができる場所を複数整備しました。
それまでのお花見といえば、桜の名所だった上野山に歴代将軍の菩提寺(お墓)があったため、騒ぐことを禁じられたお花見でした。
でも新しく作られたお花見スポットは、ほとんどの場所が江戸の中心から距離のある郊外で行くのも一日がかりの場所。
つまり吉宗は、窮屈な江戸を離れて大騒ぎをしてもいい場所にお花見スポットを作ったというわけなんです。
こうして、「皆で花見スポットへ出かけて美味しいものを食べる」という今のお花見スタイルが江戸で誕生し、全国へ普及していきました。
年に1度のお花見の日は、日頃の窮屈さから開放される日。
前の日に楽しみすぎて眠れなくなるっていう気持ち、すごくわかりますよね!
お花見には「幕」が欠かせないものだった!
さて、待ちに待った年に1度のお花見の日。
町民たちは前日から用意したお弁当(重箱にぎっしりご馳走を詰めた花見弁当)やお酒を持って花見にでかけますが、この時忘れてはならないのが「幕」です。
当時、幕はお花見の場所を確保するために必要なもので、木に渡した紐に幕をかけて場所の目印としました。
今でいうところのブルーシートの役割ですね。場所取りには欠かせない必須アイテムです!
当時はお花見に限らず、行楽の時や行事の時に周りに幕を張って、その中で宴会や儀式をするのが一般的でした。
江戸時代前期に描かれた「紫の一本(ひともと)」という本には、お花見の時期はこの幕が200~300はあったと書かれています。
つまりお花見の時期になると、桜の下に色とりどりの幕がたくさん張られた光景がこの時期の風物詩だったというわけなんですね。
「桜に幕」は楽しいお花見の場面を切り取ったもの
このように、お花見は当時の人にとってめちゃくちゃ楽しみな行事でした。
だから3月といえばお花見を連想し満開の桜の下で幕が張られている風景を切り取って描いたのが、花札3月の絵になったというわけなんです。
花札の絵に幕?って思ったけど、理由を聞くと納得ですよね!
桜の赤い短冊に描かれている「みなしの」って何?
「みよしの」と読みます。
桜の名所である、奈良県吉野地方の美しさを讃えた言葉になります。
簡単に言うと「素敵な吉野!」みたいな感じですね。
お花見の場所は女性たちのバトル会場!
さて、そんな皆が楽しみなお花見という行事。
何も飲み食いだけが楽しみなわけではありませんでした。
お花見に行くとなると、当時の女性たちはとびっきりのおしゃれをしたといいます。
それには先程も描いた「幕」が関係していました。
昔も女性たちは大変だったのねというエピソードをご紹介します!
バトルの必需品は花見小袖
前述したとおり、お花見会場では幕を張って場所取りをしていましたが、中には単なる布地の幕ではなく「小袖」という着物をかけて場所取りをすることもありました。
幕として着物をぶら下げるということは、人の目に触れるということなので、少しでもいい着物をぶら下げたいと思うのが女心というもの。
しかも、お花見の場は無礼講の場所であり、男女の出会いの場でもあったそう。
そんな2つの理由からお花見にでかける女性たちは小袖をわざわざ新調して出かけたのです。
このお花見のときに着る華やかな小袖を「花見小袖」といいます。
この花見小袖はお正月の着物よりも奮発して仕立てたということから、気合の入りようがわかりますね。
幕の代わりにかけるため。いい出会いを見つけるため。
お花見はそんな女性たちの思惑が詰まった戦いの場所でもありました。
上の絵はお花見の女性たちの様子を描いているだけだと思うんだけど、どこか視線がバチバチしているように見えるのは私だけ?
まとめ
- 花札3月の絵は花見の様子を切り取ったもの
- 当時の人達にとって花見は窮屈な生活から開放される特別な日だった
- 幕はその花見に欠かせない必須アイテムだった
- 江戸時代の女性たちにとって花見は出会いとバトルの場所でもあった
初めは桜に幕ってあまりしっくりこなかったけど、今は当時の人達のワクワク感が伝わってくるいい絵に見えてきました。
ただ、バトルに巻き込まれるのはちょっと面倒でイヤかも。