花札の最後を飾る12月の札は「桐に鳳凰」。
この札には植物として「桐」、動物(鳥)として「鳳凰」が描かれていて、札の読み方は「きりにほうおう」になります。
桐も鳳凰も想像はつくけど、あまり馴染みがないなぁ。
確かに、どちらもぼんやりとは知っているけど、どういったものなのか詳しいことってあまり知らないですよね。
そこで、今回は花札に描かれている桐と鳳凰についてご紹介していこうと思います。
花札に描かれるようになった経緯もあわせて解説していきますね。
では早速、桐から見ていくことにしましょう!
花札に描かれている「桐」とは?
桐と聞いて思いつくのは、桐のタンスや桐の箱など木材としてのイメージ。
そんな桐とはいったいどういう植物なのでしょうか?
桐の正体は意外なものだった!
桐はゴマノハグサ科キリ属に属している落葉樹です。
ご覧のように見た目は木ですが、実はゴマノハグサ科という「草」の仲間で、ゴマノハグサ科の中でも桐だけが木のように大きくなります。
桐って木じゃなくて、草なの?!全然知らなかった・・・。
ちなみに「桐」という漢字は木と同じと書きます。これも草の名残なんでしょうね。
話を戻して。
桐は毎年5月~6月ごろに花を咲かせます。
薄紫色の小さい花で、垂れ下がって房状に咲くのが特徴です。
この桐の花と葉が、花札の絵に描かれています。
私は初め花札の「キリ」は「桐」だとは思わず(桐は木のイメージしかなかったので)、別の植物だと思っていました。
でもこの絵は、桐の花と葉を描いたものなんですね。
さて、そんな桐がどうして花札の絵に採用されたのでしょうか。
それは、桐が江戸時代にはなくてはならない植物だったからなんです。
江戸時代では桐は必需品だった!
桐にはある特徴がありました。
それは「軽くて、燃えにくい」こと。
桐は家具を作るのに適した木材の中で一番軽く、また湿気を通さず狂いや割れが起きにくいので、現在でも材木として重宝されています。
そんな桐の特徴は、花札が作られた江戸時代でも重宝され、今よりもっと人々に身近で欠かせない植物でした。
その背景には災害が多かった当時の事情がありました。
桐が重宝された理由は「大火でも燃えにくかったから」
当時の江戸の町は大火が多かったといいます。
町には木造の商店や長屋が密集していたため、火事になってしまうとあっという間に燃え広がってしまい、大規模な火事(大火)になることが多い時代でした。
そこで重宝されたのが、桐でできた箪笥でした。
桐は吸湿性がいいため燃えにくく、軽いという特性があります。
そのため、水がかかれば火事がおこっても燃えにくく、仮に箪笥に火がついたとしても燃え広がらないので、中の着物は無事だったということもあったそう。
そのことから、当時は「火事が起こったら桐の箪笥に濡らした布団をかけて逃げろ!」とよく言われていたそうです。
さらに桐は軽いのでいざという時は桐箪笥を担いで逃げることもでき、また水害の際には軽くて水に浮くのでそのまま流されて、中の着物が無事だったという話もあるほどなんです。
災害に強い桐の箪笥は、当時の人にとってはなくてはならないものだったんですね。
シンボルツリーとしても欠かせなかった
また、江戸時代には女の子が生まれると桐を植える風習がありました。
桐は成長が早いという特徴もあり、15~20年で立派な木に成長します。
そのため子供が生まれた時に桐を植えて、嫁入りする時にその大きくなった桐を使って、桐箪笥などの嫁入り道具を作って持たせていたそうです。
確かにこれだけ優れた特徴を持つ桐なら、嫁入り道具にするにはぴったりですよね。
その子の成長とともに桐も大きくなって、お嫁に行く時にその桐で家具を作る。なんかステキな話ですよね。
このように桐は江戸時代の人にとっては、とても馴染みがある欠かせない植物でした。
また実用的な面だけではなく、高貴な象徴という意味でも花札の最後を飾るに相応しいと考えたのかもしれません。
その理由は次の「鳳凰」と関係がありました。
では、次に「鳳凰」について見ていきましょう!
花札に描かれている「鳳凰」とは?
鳳凰とは中国から伝わった想像上の鳥で、中国では古来、平安をもたらす優れた皇帝(聖天子)が現れる時に姿を見せるとされてきました。
そのため鳳凰は優れた皇帝の出現=「天下泰平」の象徴となり、日本でも古くから天下泰平のモチーフとして多くの絵や工芸に用いられました。
花札が作られた江戸時代にもその縁起の良さと見た目の豪華さが人気となり、多くの美術品が残されています。
明日10月4日(日)より「没後220年 画遊人・若冲 ―光琳・応挙・蕭白とともに―」を開催いたします。岡田美術館に収蔵される #伊藤若冲 の作品全7件を一堂に展示します。もちろん、4年前に83年ぶりに再発見された「孔雀鳳凰図」も。皆様のご来館を心よりお待ちしております。#岡田美術館 #箱根 #若冲 pic.twitter.com/cuCVBOcSAE
— 岡田美術館 (@okada_museum) October 3, 2020
大寒を過ぎ、立春まで寒さが最も厳しくなるといわれるこの時期。本館8室では「夜着 紺綸子地鳳凰唐草模様」を展示。友禅染による鳳凰模様の夜着です。夜着とは、江戸時代の布団のこと。こんな布団で寝たら温かい夜を過ごせそうですね。3/6まで。 pic.twitter.com/NtA99c4FOQ
— 東京国立博物館(トーハク) 広報室 (@TNM_PR) January 27, 2016
そんな鳳凰ですが、実は「桐」との相性がとてつもなくよかったんです!
桐と鳳凰は現在も継承される最強コンビ!
中国では、
「聖天子が現れる時に鳳凰が現れ、桐の木に止まり竹のみを食す」
という伝説があります。
ここから、
鳳凰が現れる時には桐の木に止まる=「桐と鳳凰」
という組み合わせが吉祥のシンボルとなり、人々に愛されてきました。
こちらも縁起のいい組み合わせのため、数々の絵や工芸品のモチーフとして使用されてきました。
今日はまたサントリー美術館の「ART in LIFE, LIFE and BEAUTY」を見に行きました。
— Takaco🇺🇦 (@takaco_10) August 15, 2020
デザインの本を読んでいるとよく出てくる、、、「日本画でよく使われる余白」の代表画家の1人だと思う狩野探幽の「桐鳳凰図屛風」はやはり余白をたっぷりある作品。空気感と優雅さを感じられます。 pic.twitter.com/9b5gaxtnsk
【漆皮】
— 亞藍 arran design room (@arran_design) January 9, 2022
ダンヒル・ナミキの蒔絵万年筆。
これを指導監修した漆聖 松田権六。彼に教わった漆芸家の新村長閑子は長らく途絶えていた漆皮筥を再現して現代に蘇らせます。日本の漆藝の精緻は世界に誇る文化 次回ブログは漆と皮革についてです。#ブログ
煉革黒漆塗桐鳳凰に剣梅鉢紋蒔絵陣笠
富士美術館蔵 pic.twitter.com/QvS6nSxI6K
この「桐と鳳凰」は現在でも意外なところに引き継がれています。
例えば、現在日本政府の紋章として知られている桐紋。
身近なところでいうと、500円硬貨の裏面に刻印されているので見たことはあるんじゃないでしょうか。
新しい500円硬貨だ pic.twitter.com/1aY7I6WraJ
— Sayuli (@Sayuli79111782) February 8, 2022
あとは、首相が会見する時に使う演説台や政府ツイッターのアカウントにも桐紋が使われています。
【お知らせ】
— 首相官邸 (@kantei) February 10, 2022
「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージを掲載しました。
▼全文はこちらhttps://t.co/kxkhebZeuS
この桐紋のルーツは、古くは平安時代の嵯峨天皇が「鳳凰が宿る木」としての桐をとても気に入り、自身の召し物に桐や鳳凰の紋様を使うようになってからといわれています。
その後、後鳥羽上皇が菊の紋章を好んで使うようになり、菊紋が正紋、桐紋は副紋となりました。
副紋とはいえ、桐紋は立派な天皇家の紋。
以後、天皇家に功績のあった臣下にこの桐紋が与えられるようになり、織田信長や豊臣秀吉など名だたる武士たちの紋章として使われていました。
明治になると、菊紋の使用が皇室関係のみに制限されたため、日本政府の紋章として、菊紋の次に格の高い「桐紋」が使われるようになりました。
このように現在も引き継がれている「桐」と「鳳凰」の組み合わせは、天下泰平と高貴の象徴としてまさに最強コンビというわけなんです。
では、この最強コンビがなぜ花札12月を飾ることになったのでしょうか。
桐と鳳凰が花札の題材になった理由とは?
私としては、そもそもこの「桐」と「鳳凰」が花札12月の札に描かれていることにちょっと疑問があったんです。
花札は基本的にその月にまつわる植物や動物などがデザインされています。
例えば、花札2月の梅にうぐいすとか花札3月の桜に幕とか。
でも桐と鳳凰って、花札12月の時期(旧暦12月。現在でいうと12月下旬から2月上旬ごろ)とは関係がないんです。
鳳凰はもともと季節は関係ないのでまだいいとしても、桐は花が咲くのは5~6月頃だし、そもそも桐は落葉樹だから冬は葉が落ちてしまって、この時期は枝だけの状態になってしまいます。
そんな12月には全く見どころのない桐を、どうして花札の絵に採用したのでしょうか?
花札12月と「桐と鳳凰」の関係とは???
調べたところ、実は「ピンからキリまで」という言葉の語源が由来だということがわかりました。
ピンからキリまでという言葉は「はじめから終わりまで=最上から最低まで」という意味で使われます。
この「ピン」と「キリ」という言葉。
語源はポルトガル語で「ピン」が最初、「キリ」が最低という意味で、もともとは安土桃山時代に作られた「天正カルタ」が由来になります。
天正カルタは12枚のカード✕4セットの48枚で構成され、1のカードを「ピン」、12のカードを「キリ」と呼んでいました。
この天正カルタは、安土桃山時代に伝来した「南蛮カルタ」をアレンジしたもので、その他にも様々なカルタが誕生し日本に定着しました。
このカルタ遊びに刺激を受け、その後開発された「日本式の絵合わせかるた」から、現在の花札が生まれたとされています。
花札が1月~12月までの各4枚構成なのも、ここから影響しているんだそう。
花札の最後の札が「桐」なのは、天正かるたの12のカードを示す「キリ」という言葉と掛け合わせているんじゃないかと言われています。
つまり花札の最後を締めくくるのに、終わりという意味の「キリ」と植物の「桐」を掛け合わせたのね。
高貴で吉祥のシンボルであり、また言葉としての「キリ」ともうまくかかっているから、桐は花札12月の植物として相応しいと採用されたのかもしれません。
桐が採用されるなら、相性のいい鳳凰を描こうというのもわかります。
理由がわかれば、花札最後の月を締めるのに「桐」と「鳳凰」はぴったりの組み合わせと納得できますね。
まとめ
- 桐は「草」の仲間で、薄紫色の小さい花を咲かせる。その花と葉が花札の絵に描かれている。
- 当時多かった大火をしのぐためには桐の箪笥がとても重宝されていた。そのため桐は江戸時代の人々にとっては欠かせない植物だった。
- 天下泰平の象徴である鳳凰は、現れる時に桐の木に止まると言われている。そのため桐と鳳凰の組み合わせは縁起のいい最強コンビの組み合わせだった。
- 花札12月に桐と鳳凰が描かれた理由は「ピンからキリまで」という言葉の語源が由来だった。
いや~、今回もすごく勉強になりました。桐って草だったんですね(そこ?!)
でも調べてみると、この札は季節や行事を描いてきた他の花札とは違って、天下泰平の願いが込められた札だったんですね。ちょっと特別な感じがします。
高貴な印象も他の札とは違う感じが。
見た目からは想像できないけど(笑)